やっぱ納得いかねえわ | discord

やっぱ納得いかねえわ

 ロンドンで読んだ(とは僕の英語力だと言えないか)新聞の記事が、ずっと頭から離れない。ロンドンでは「METRO」という新聞が地下鉄駅構内で無料で配られていて、その1面を飾っていた記事だ。

「ビル・ゲイツ、『CDとDVDは死滅(=doom)するだろう』と語る」

 METROの1面にはこう書いてあったのだ。大きなニュースだから、日本でも報道されたのではなかろうか。
 ここで「音楽&映像配信の時代におけるCDやDVDのあり方」を書くつもりはない。そんな論議は何度も行われているし、僕はDVDはまだしも、CDというパッケージはレコードというパッケージの次に好きなものだ。だから当たり前のように、なくなって欲しくない。しかし、それは至極個人的なことで、僕は配信にもとても興味がある。
 だってそこに音楽があるんだから。
 最近、NAPSTARをやっているが、あれは買うというより借りるという意味においてとても面白く、CDなどのパッケージとの連動も考えることが出来てとても興味深い。
 いや、ここで書きたいのは「ビル・ゲイツが——」という部分だ。

 僕はね、ビル・ゲイツにそんなこと決められたくないんだ。だって彼はあっち側の人間だから。

 いや、わかっている。どれだけガキ臭いことを大げさに書いているかはわかっている。確実に時代はCDやDVDのパッケージの次世代マターへと向かっているし、そういうことを話すに最もふさわしいイコンがビル・ゲイツだし、彼のような存在がこういうことを明確に話すことによっていろいろなことが前へ進んで行ける。それはね、わかる。
 だが、やはり嫌なのだ。あっち側の人間がこう言い放ち、それでみんなが安心したかのような顔でそっちを向いて、「やっぱそうだよね、うんうん。俺も前からそう思っていたし」なんて話して、次の日にiTMSなどの配信数がどっと増す。
 そういうのは激しく嫌なのだ。

 関係なさそうで関係ある話なのだが、昨晩(というか、今日の朝まで)はファンタスティック・プラスティック・マシーンの10周年パーティーが新木場のスタジオ・コースト(=ageHa)で行われたので、遊びに行ってきた。田中さん、10年おめでとう。
 勿論楽しかったし、気持ちがとてもよかった。イビザ・アンセムとしても10年に1度ぐらいの名曲“ミュージック・サウンド・ベター・ウィズ・ユー”のヴォーカリストを務めたベンジャミン・ダイアモンドが歌うというので、それがかなり楽しみだったりもした。彼の歌はよかった。けど、その後の彼のDJがあまりにも酷くてね。ちょっとびっくりした。DJは自分が気持ちよくなるためのものじゃなく、踊っている人にハピネスを振り掛ける、そのこと自体を気持ちよがるものなんだよ、ベンジャミンさん。
 と思いながら、それでもフロアで拾ったドリンク・チケットでぐびぐびカクテル呑んでいたら、その後のDJが素晴らしくて! それがMUROとエスカレーター・レコーズの仲くんだった。MUROはヒップホップというかR&Bだし、仲くんはロッキン・ハウスだ。タイプは全然違う。勿論、プレゼント・ソング(僕はDJが流す音楽をこう呼んでます。プレゼントもらってる気持ちになりませんか?)もまったく違うものだった。でも二人ともすげえよかったんだ。

「音楽知ってるDJは最高だなあ!」

 こう思ったのです。絶妙なんだよね。絶妙にセクシーだったり(MURO)、絶妙にガンガンだったり(仲くん)、何しろ絶妙で、本当に気持ちが全部スピンされてる音楽に翻弄されてしまったんです。すごい楽しかった。
 この二人は、レコード・ショップを開いている(MUROはいた?なのかな。服とレコードを渋谷で売っていたのを覚えています)DJで、多分死ぬほど音楽聴き続けてると思うんだ。僕もずいぶんと聴いてるつもりだけど、そんなもんじゃねー!って感じなんじゃないかと思うんです。そう思うほどの「音楽知ってんなあ!」なDJだったのです。
 こういう人は、音楽自体にとって何より大事な存在だと思うんだ。
 だからレコード・ショップを残せ、という話じゃない。いや、僕はレコード・ショップには音楽の達人がたくさんいるので、大好きなのだが、ここもまたそういう話じゃない。

 こっち側にはこんな素晴らしい音楽と伝達者がいるんだ。

 ということを声高々に伝えたいのだ。
 先週、何度かバンプ・オブ・チキンとインタヴューしたのだが、プロモーションという言葉の意味とはかけ離れた、もう何だかわからない告白をし合う会話となった。藤原基央はこんな時代だからこそ、音楽以外のことに関して鍵をかけまくっている。その中で、音楽を作り続けている。こういうアーティストが、リスナーである僕ら側にはいるのだ。MUROにしろ仲くんにしろバンプにしろ、心のそこから誇らしく思える。
 音楽がどんな進化と変化を遂げるのか、それは音楽自体の問題で、システムはそれを補填するべきものなのだ。ラジオもテレビもレコードもラジカセもウォークマンもみんなそうやって、音楽を聴く僕らを進化させ、補填してきたのだ。だから、ビル・ゲイツの発言のような「CDやDVDが死滅する」なんてことはどうでもいいことだし、その発言自体に圧倒的な不信感を覚えるのだ。愛がないんだよ、金と成功にしか愛が感じられないんだよ。頭くるんだ、そういうのが音楽にへばりついているのが。
 音楽も映像も配信することはいいよ。そのシステムによって音楽や映画が好きになった人もいるだろうから。しかし、だからってCDやDVDを殺す必要なんてまるでない。いいものは、進化の過程の中で必然的に人々に選ばれて行くのだ。

 僕らはもっと音楽を聴きたい。けど、やり方なんて誰にも決められたくない。まして、仲間でもない人の一言なんて、聞きたくもない。